ソフィアンズコンテスト主催団体は、既存のコンテストが持っていた「女らしさ/男らしさ」という性別二元的なあり方を打ち破り、新たな上智大生らしい魅力を実現できる場にすることを目指すと発表している。
また、この制度改革は、大学が理念として掲げる「ダイバーシティ」(国籍やセクシュアリティなどの個々人の違いを尊重すること)に即したコンテストのあり方を模索した結果であると説明している。
世界で進む「ミスコンの制度改革」
はたして、このような制度改革は性別に関する新しい感性や文化を育むものか、それともミスコン的イベントを存続させるための言い訳でしかないのか。
これは、今後の展開を見ていくことでしか答えられない問題だが、実はこのような「ミスコンの制度改革」は近年、世界の様々なミスコンで活発になされている。そこで、これまでのミスコン批判とそれに応えたミスコンの変化を少し紐解いてみよう。
「ルッキズム」を助長……ミスコン批判の始まり
ミスコンに対する反対運動が始まるのは1960年代末からである。主にルッキズム(外見至上主義)を助長するものとして、ミスコンは批判されてきた。
ルッキズムとは、外見の「良し悪し」によって人を判断し、その人に対する態度を変えることを指す。
とくに社会的・職業的な地位や権力をもたない女性たちはこのような扱いを受けることが多かった。そもそも女性の外見の「良さ」とは純粋な美しさだけでなく、(異性愛者男性にとっての)性的対象としての望ましさも意味してきた。
そのため、外見評価の場は人格を無視し性的対象としてのみ捉えた蔑視発言を伴うことが多く、セクハラも起きやすい。
また、外見の「良さ」の判断基準には、暗黙のうちに人種差別的感情が入り込んでおり、白人の持つ属性を「美しい」とする偏りがあることも指摘されてきた。
ミスコンは、ルッキズムがもたらす女性差別や人種差別を温存するものになっているとして問題視されてきたのだ。
「ミス・アメリカ」は2019年大会から水着審査を撤廃
これらの批判に応答するように、ミスコンそのもののあり方が変わってきている。
アメリカでは1980年代から少しずつ、非ヨーロッパ系アメリカ人や障害をもつ女性などの多様な人々が入賞者として選ばれるようになってきていた。
2019年には世界の5大ミスコンの優勝者はすべて「ブラック」女性となった。ミスコンという場を用いた「多様な美」の提示が目指されていることがわかる。
また、2017年から起こった #MeToo 運動をきっかけに、「ミス・アメリカ」は2019年大会から水着審査を撤廃し、自分にとっての「正装」でのインタビュー審査に変えた(ちなみに「ミス日本」は2020年現在も水着審査を行っている)。女性を性的対象化する要素をミスコンから払拭しようと努めていることがうかがえる。
このように、ミスコンは美と性的魅力をめぐる「社会的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)」の観点をもって変化している。この改革を通して、批判も多いミスコンの「社会的意義」を確保し、ミスコンを開催することの正当性を獲得しようとしていると分析できるだろう。
法政大学はミスコンに対して「容認できるものではありません」
大学はミスコンに対する厳しい態度を鮮明にしている。
法政大学は2019年に改めて声明を出し「人格を切り離したところで、都合よく規定された『女性像』に基づき、女性の評価を行う」ミスコンは「容認できるものではありません」と断言し、「本学施設を利用しての」ミス/ミスターコン等のイベント開催は「一切容認されない」と立場を明瞭にした。国際基督教大学(ICU)は2011年からミスコンを全面中止している。
世界的潮流として、批判に応答したミスコンの制度改革が様々に進んでいる。だが、ミスコンそのものが持つルッキズムの助長という問題を解消するのが難しいのも事実だ。社会とミスコンの変貌のなかで、ミスコン賛否の議論は新たな段階を迎えている。
(高橋 幸/文春ムック 文藝春秋オピニオン 2021年の論点100)
https://news.nicovideo.jp/watch/nw8895246
管理人:Po( ੭•͈ω•͈)੭oh
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もうコンテストやめたらどうかね
コンテストは個人の外見を主観で評価し価値判断するのだから
それ自体差別だろ
顔出し禁止で審査せなあかんで
審査が差別。
平等に、みんなグランプリにしなきゃ。
いいのか?
女子もあるだろ
いちいち区別するのが面倒くさい。
過去の哲学者の言葉借りて、こういうの論破するしかないのかな
そういうAI作りたくなってきたw
審査されたい人と審査したい人だけでやれば良い。
審査されたくないブスと審査したくないバカは
見なけりゃ良いだけ。
これで万事解決!
世界中に「日本人はロリコン民族」という悪評がたってる。
俺は外資で仕事してHQのある米本社にも行ったが、そんな話はまるで聞かなかった
あと、人種同士の結託はたしかにある
別段、差別とかそう言う話ではなく、誰もが、自分と近いタイプと付き合う現実がある
そのため、日本の文化だ、嗜好だは、良くも悪くもまるで認識されていない
あるとすれば、日系人社会かその辺だが、そちらにはあまり交流の機会が持てていない
アメリカの現実は、基本的には伝統的アメリカ人を中心に回っていると思う
そのため、ポケモンとかも含めて、そんなには日本自体が相手にされていない感じだった
車についても、カローラ、フォレスターはよく見たが、日本人が喜ぶような扱われ方ではなかった
※ただし、台数は予想より出ていた
あなたがどう言う層と密接なのかはわからないが、もう少し広い世界も見てみてほしい
税金は使うな。
外見、顔に美を追求しすぎる風潮は特に女は可哀想なほどで
整形、化粧、加工はもう気味が悪いほどだし
美の価値観が多様化してればいいんだけどな
ミスコンがなくなると美醜がなくなるわけじゃないのにな。なんでリベラルがこうするかって言うと、ほとんどの人は善良で浅はかだからだ、と俺は思ってる。
何度でも騙される。
着物着た日本人女性にメダル持ってこさせるセレモニーも
女性蔑視だからやめるべきだと思う
モデルとかタレントとか外見が必要な職業がある以上、全廃止まではやりすぎだと思うけど
運動能力でも選別されるのに
どうして外見で選別するのは駄目なんだ?
外見が優れた人間の長所も認めてやれって
で、女性による差別と悪事は差別と悪事とは呼べないと
知性よ高さがわかる
多様性w
最近は人外作品にまで
やたら女性属性や男性属性を持たせたりするのが目立つ
例えば人間だけじゃなくても
犬とか動物にもメスが増えてたり
宇宙人とか機械とかモンスターとかもメスが増えてるし
女性であるという事も強調してる
気色悪い
上智は神学部を除けばまるで宗教色ないよ
頭が良く性格も良く健康で外見も良い人しか
良い人生を歩めない
デザイナーズチャイルドのみが成功する
映画「ガタカ」そっくりになるな。
ただ、あの作品では
遺伝子に欠陥があって底辺生活を送る主人公が、闇の人材斡旋ディーラーを通じて適正者のDNAを得て
それになりすまして成り上がる様子も描かれていて、
そういった手口を使う犯罪者の出現についても予告がなされている。
”母ちゃんは綺麗だけど、娘は・・・。”って言っていたから、顔が整っているとかいうのは人種に関係なく同じだと思った事がある。
外見が綺麗なのは才能だから、スタイルとか顔が良い人がモデルとして広告になっている。
マジレスすると女装コンテストはファッションを競うコンテストだたらセーフなんだわ。
修学旅行とかも
男子学生も喜びそうだし
女子高校って、
歌舞伎って、宝塚歌劇団って
相撲の力士や、益荒男や大和撫子って差別用語になるんかね?
「ラブ・イズ・オーヴァー」の「泣くな 男だろ」の歌詞のところでピー音が入る
人間は常に外見の美しい人間を求めてきたのに
かりそめの価値観で世界を変えようなんて傲慢過ぎない?
多分メダリストは男性の健常者ばかりになるだろうけど。
なんでここは突っ込まないの?
引用元:
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1612577383/
管理人:Po( ੭•͈ω•͈)੭oh
“差別”と”区別”は違うと思う
男女の違いは”区別”だし、キレイorブサイクは”差別”という感じ
でも、ミスコンとかは好きでエントリーしてるんだろうし、別に良いのでは……?